最近長い(日本語の非技術の)文章を、しっかり構成考えて、文字数しっかり書いて、しっかりまとめるということをほとんどしていないことに改めて気づいてその原因を探ってみたところの思考の一部がこちら。短くまとめると
それはただのお前の甘えだということなのだけど、科学または技術を専門とするようになった環境要因に甘んじて、文章をわかりやすく書く、文章をしっかり構成する、ということをサボってきたことと、
Twitterという短文で思考を垂れ流せるメディアを頻繁に利用するようになったことがある種背景にあるように思えてきた。
正直な感覚から言えば、論理的な構成を考える能力は科学やる人間として最低限必要な程度には持っているつもりで、その点においては大学入学後くらいに書いたまとまった文章と直近の文章を比べると明らかに成長?しているとは思います。ただ、?をつけたように、人に読ませる文章という意味ではそこまで成長してるとはお世辞にも言いがたいでしょう。
見た目はだいぶ形式張るけれど、口語的表現や
ネットスラングや内輪の言葉に頼りすぎない正しい文章を書くことを心がけるだけでも変わってくるものだろうか。とはいっても形式張りだすと表現のようなもので「盛る」文章の書き方になってしまうのは事実。「盛る」文章といってもその盛り方も少ない語彙をぐるぐる回して盛っているだけにすぎないわけで…。
ビジュアルを見せることに関してはこれまでWeb制作やパンフレット・ポスター制作でやってきているけれど、文章を読ませるとなると一撃必殺的なアプローチに頼ることはできない(
Twitterの場合はメディアの特徴上例外的にある程度は可能)。そして実際のところデザインというものは一撃必殺的なアプローチを取るべきではなく長期的に使えるものを作っていく力が正しいデザイン力なのであって…。
…とちょっと文章離れたところで、大抵のケースだとブログ書いてるとここで打ち切って投稿してしまうのでそれもよくない。
結論としては、もうちょっと正しい日本語の非技術の文章を書く訓練をしたほうがよさそうだ、ということになる。「ぶっちゃけ体」の文章は書くのも楽だし親しみを与えるかもしれないけれどそれを使いすぎて緊張感の必要な文章や整った美しさを表現するべき文章が書けなくなるのは決していいことではない。少なくともこちらで文章を書くときは、印象を表す言葉の幅をもう少し広げるとともに、正しい意味に基づく明瞭な語用を心がける、不正確な日本語や口語限定の言い回しを使わない、ということに気をつけようと思う。