合宿から帰って来ました

帰ったのは昨日、帰宅後問答無用で寝たのですが。w

発表のほうは無事終わりました

自分の発表について

社会経験のある方々からのフルぼっこを想定していたのですが、かえって賛同を得られて、具体的なプランに関して考察が必要、という結論で、将来設計そのものに対する批判・攻撃はなかったのがびっくりでした。これは自分の中でもすごく精神的な後押しとなった。基本的に理系の技術屋・研究者を目指す人に対してはあまりその職業そのものに対するツッコミはなかったように思うので、それはゼミの特性、というだけかもしれませんが…。
個人的な反省としては、やっぱり数値の上でのデータはあっても、具体的な実践例を挙げられていない、そういう発表そのものの「構造的批判」や、「具体的にどんなことをやってるの?」という内容的な自省が残りました。


特に来年自分が聞いていきたいのは、「具体的にどんなことをやってるの?」という、過去の行動そのものからその熱意を改めて問い直す、ということでしょうか。スポーツ選手や芸術家を目指す人たちの集まりの中で将来設計の発表をするシーンをテレビなどで見たことがあるのですが、そういう場において問われているのはガチガチなキャリアプランよりも、漠然と抱いている職業理想を実現するための過去・現在における努力なのです。過去・現在における行動を改めて考え直すことで現在・未来における目標への努力を具体化することができると思います。それは定型的な「海外へ留学して何々の資格を取るor厳しい環境に身をおいてスキルを磨く」ということに命を持たせる最大の要因だと思います。現在の状態で何もしていない人が、海外に行って何かができる、そんなことは絶対にありえない。だから自分の発表にのみ「海外への留学」というプランは含まれていなかったのです。それは単純に合宿3日前にプランの書き直しを迫られたから、というのもあるのですが、海外へわざわざ行く目的、「語学力」や「国際的視点」といった基本的なこと以前に、現在の行動の延長上にあるかといったらそれが自分の中で現在の行動の延長上に位置づけられなかった、それだから留学という選択肢をあえて挙げることはしなかった、と考えています。ここで言うのもなんなのですが、ある先輩の「このゼミって『海外に留学して…』っていうような空気があるよね」っていう発言は、その意味では少々短絡的だったのかなぁ、と思ってしまいます。来年1年生に聞いていくとすればそういうこともあるか。
もし海外へ行くことを考えるならば、国内にいるうちからできることを全部やって、その上で行かないと、向こうへいっても何もできないまま帰ってくることになるなぁ。現在時制での行動・努力を最大化しなければならない。改めてそのことを意識させられたゼミ合宿だったなぁ、と思います。


あ、あとOBさんの食いつき方が非常に面白い点だったなぁ、と思います。ドイツのボードゲームカタンの開拓者」はアニタイのみでの知識だったので(駄目)、今度誰かやりませんか。3人以上でやるってことは、数理研メンバーに広めてみるか。あとTRPGも。誰かやってる人いたら紹介してくださいな。
# MTGが1995年にできたってのは日本での4thEditionの発売が1995年ってことなのかな?世界最初のトレーディングカードゲームとしてのMTGのAlphaは1993年8月、Betaが1993年10月、Unlimitedが1993年10月みたい。

「将来設計」の発表の戦略

今年の最初の議論は、「将来設計」といったときに、

  1. 徹底的な自己分析のうえにそこから自分の職業を持ってくる
  2. とりあえず職業を1つ定め、その職業のための具体的戦術(「戦略」ではない)を議論する

の2通りの戦術のどちらを重視するか、ということがありました。


1年生の論調を見ている限り、特に最後の発表(→具体的内容は割愛します)のあと、「後者のものを重視しろ、前者は意味がない」といった空気が支配的だったように思います。ただ自分は合宿についたときに、業界分析とそのための方法論をデータをもとに固める、といった自分のレジュメどおりの手法には限界がある、と思ったのです。そうすることでは独自性が見えてこない(→コメントシートに「もっと『自分』(発表者の『人間像』)が見たかった」というのがあったのと、3日目発表後の個人的な話もあります)。発表レジュメの外のことを30%ほどその場でしゃべらなくてはいけなくなったのはそのためです。「過去・現在における行動」は発表者によって違うはずなのが、それを前提に将来像に昇華させる、ということならばいいのだが、将来像への昇華の方法論はおろか「過去・現在における行動」の存在を無視している発表が多かったのが気になりました。自分はここだけは絶対に譲れない、というものを表に出してこない発表が多かったのは自分としては不十分に思いました。「ここだけは絶対に譲れない」というような前提を書いていてもそれが後の職業選択の部分で矛盾してくる、ということもありました。それでは自分が大学に入って一番最初にクラスの大半の人に対して感じた「こいつらの武器・専門としたいことは一体何なんだろう」という疑問を、あの選抜を潜り抜けてきたゼミの人々に対して感じてしまっていることになります。そもそもどういう議論をしたいのか?全員が官僚志望のゼミだったらばまだ具体的な官僚になるための戦術の甘い部分を互いに叩き合うことは可能だが、そもそもそういう場ではないし、具体的なプランに関して一番情報を持っているのは自分(まぁその業界にピンポイントにいるOBさんっていうのもありますが…具体的なプランに関しては実際修正していただきました)のはずなのに、それを直すことをほかのゼミ生に求めるって、それじゃあ一体何を議論したいのかわからない。
来年に関して、1年生の大半に戦術2を重視していく空気が支配的でも、自分はあえて戦術1の道を選びます。技術者の道は結局技術を磨きそれを示していくことの積み重ねなのですから、それに関して「お前の技術は足りてない、やり直せ」といわれるなら上等ですが、ほかの専門を持つ人にそういう指摘は一切求めません。それは同じ専門内で行われるべきことです。多様な視点を持っていることが強みなのならば、むしろ彼らの多様な視点を生かして自分を見つめなおす、その作業が一番欲しい。そして来年までにやることは、「現在時制での努力」を重ねることと、「冷静、いやむしろ冷徹なまでの自己分析」の2つ。それをやった上で、来年が非常に楽しみである。