この世の美しいものは容易に得られるものではなく、泥沼を這いずり回り見つけた原石を削った末に得られるものだ。
大事なのは、それを目指すものにとって、本当に美しいのはその最終生成物であり、泥沼を泳ぐ技術や石を削る技術やそれらの過程が美しいのではない。


決して過程を否定するわけではありませんが、過程が賛美されるのは二次的な意味しかないと思うのですよ。


技術と芸術(=どちらもart)の道を行くものとしての戒めとして。