ほらやっぱり重なりましたし

2001年9月11日から10年と2011年3月11日から半年とが重なりましたしみんな書いてましたがちょっと出遅れながら回想的なこととかを書いてみようかと。

9/11の話

2001年9月11日当時はカリフォルニアに住んでました。そういう話ってこちらに書いてましたっけ。初耳ならそういうことです。朝のニュースは日本の1日遅れかなんかのニュースを見て、日本語のラジオ放送を聞いて、まぁいつも通りだろうと思って、何も知らずに学校行きました。その頃はトランペット吹いてたので、授業始まる前に音楽室行って音出しして楽器置いて最初の授業行ったら、「この国は安全な国です、安心してください」という内容の全校放送がありました。いやいかに異常な事態かを語るにもっとも適切なことなのでこのエピソードは何回もネタにしてます。そりゃポカーンとなります。最初の時間は選択科目の木工的なことやってたわけですが周りもあまり語る雰囲気じゃなかったのか自分も聞きづらかったのか意味わからなかったのかで結局不思議に思いながら次の数学の授業へ行ったわけですが、そうしたら先生がニューヨーク出身の方で、学校から映像見せるなとお達しが来てたにも関わらず、「ちゃんと事態を知ってほしい」ということで見せてくれました。そこでやっと事態を知ることに。えっこれどういうことだ、と。
…といっても、自分はそんな動揺はしなかったように覚えてます。「えっこれ現地の友達はなんか親が迎えに来てたりしてるけどうちももしかしたら来て学校早引けできるんじゃね」程度のことを考えて、昼休みにいつも通りにM:tGしてたと思います。せいぜいしてた心配は、これ最悪のケースで家族ごと日本に呼び戻されるんじゃね、ということでしょうか。当時やってたホームページではアメリカに住んでたことは伏せてたので何事もなかったかのように更新したかしなかったか(電話回線だったこともあり、HTML素書きだったこともあり、毎日更新なんてやってられませんw)してたと思います。うっわあ適当。ちょっと記憶の浄化作用働いてるのかもしれませんが別段トラウマになるとかそんなことはなかったように思います。

3/11の話

その日周辺のTwの記録消しちゃったのでTwのほう見てもらうことはできないんですが、その日はお台場に出ようと思ってたんですがねぼりまして。地震が起きたときは自分も弟も両方ねぼったかなんかで家で寝てて、揺れで目が覚めて、やばいと思って家の風呂に水張って、あとはTwでひたすら情報収集してました。弟はずっと寝てました。
で夜くらいに福島の原子力発電所の事故のこと知ってひたすら情報追って、TwでFUDが撒き散らされてるのを見てあーあと思いつつ、知ってる範囲でフォローを入れつつ、確か14日には朝に3時間くらいかけて記事書いてました。そしたら事態が急変したので結局昼間には削除措置とりましたが。元々小学校のときから調査学習のネタとして原子力発電は得意としてたというかアンテナ張ってたネタなので非常に気になったのでした。

自分のこととしてこれらのできごとを考え直すと

まぁなんというか、人命や人の感情に対する想像力がまるっきし抜けてるのは10年前からそうなんだろうなぁと今になって再認識。想像しすぎてもいいことない、ってのが普段のそういうものに対する考えなんですが、ちょっとこの配慮ができない程度の想像力の欠如は日常で困るレベルです。
そしてどちらのケースでも非常事態に対して何か問題意識を感じて活動したかと言われると、してません。3/11のときはあまりに科学への信頼がなさすぎるってことで自分のフォローできる範囲の科学的知識で応戦こそしましたけど結局3/11直後から科学者への信頼は一気に下がったという話もありますし。僕はそんな意識高いことできません。あえてこうやってダメアピールっぽいこと書いたのは、機会に乗じて意識高いこと書くよりもこのほうが自然だろうと思うし自分がそういう人間だってことがわかるから書きました。あと記録のために。
まとめると、振り返ってみて、あんまりこれらのことって直接的に自分の考えを揺るがすまでに至ってないなぁと思ったのでした。高校のときはわりと自分の考えに大きく影響があったんじゃないかという視点で振り返って書こうと思ったことはありましたが、10年のスパンで見てターニングポイントかと言われると微妙なところです。強いて言うなら9/11は多様な文化への理解の必要性を再認識させてくれて、3/11は科学と社会の接点について考えさせてくれた…といってもどっちも書いてみたところで説得力薄いなぁ。ちょっと難しいです。あんまりこういう振り返りが気持ち悪いと思うのもこのへんからで、結局自分の考え方も日々の積み重ねでしかなくて、ターニングポイントがやってくるといってもそれはいいものならば機が熟したからやってくるもので、0からふっと事態が動き出すっていうのもなんか違うよなぁと思ってしまうのです。もっともこういうのも大惨事の当事者じゃないから言えることだし、それこそ想像力の欠如の最たるものなのかもしれませんが。あと普段の生活見てればそんなこと言えたクチじゃねえだろというのは大いに正しいか。

もう2つ?の9/11

どっちかというとある意味運命的とも思えるのが2005年の9月11日と2006年の9月11日。どちらも高校の文化祭のことで、前者は音楽部サマーコンサートの2日目でドヴォルザークの「新世界より」を演奏したとき、後者は演劇で特攻隊ものの作品(あえてタイトルの言及は避けますw)をやったときの話。どっちも間接的ながらアメリカに関係のある作品を、よりにもよってこの日かぁ。後者なんか戦争と平和という文脈で語ることのできる作品じゃないですか(もっともそういう演出ではあまりなかったと思うのだが)。9/11に対する意味付けという意味ではこのときのほうがわりと積極的に(自分は)やっていた気がするし、できたかどうかはさておきそれが作品に結実しえたというのはよい体験だったと思います。


なんというか、多分科学をやるようになって、社会現象への意味付けに対して醒めた(冷めた)目で見るようになったところがあると思います。駒場に居た頃はWeb2.0という現象とその終結に対する意味付けをしようとして物を書こうと思ってた時期もありましたし。何でだろうな、こうなっちゃったのは。