Dominant Christmas Concert

いきなりだけど人を選ぶ文章になると思うので続きを読む記法にしておきます。

先に人を選ぶ話を書いてしまう

その場では書いてなかったけど、これらすべてのtweetは性愛に関すること以上に音楽のことを意味しています。
結局のところ、一人ではオーケストラは成り立ちません。でも一人で全体を台無しにすることはできる。それだけ繊細な音の構造物であるということを、今まで本当に理解していたのだろうか?
演奏面でもまともな貢献ができたとは思えないし、運営のほうも言いっぱなしで中途半端にしか関わっていないのを、みんなは気づいていただろう。そう、自分の中途半端さはすべて見透かされている。いわんや聴衆が気づいていないことがあろうか?
その中途半端さの結果が、長い間かけて調整してきた乗り番であるところのプルチネルラの1stを降りることになったという結果である。元々無謀な乗り番なのはわかっていたが、それでも長期の調整期間を与えられて、それで初回の練習であの結果か?そもそも初回の練習の時点でも到底許されるものではないし、2回目の練習までに十分に調整をしていたとは間違っても言えないだろう。当たり前だ、すべて見透かされているのである。
あと今回自分が呼んだ人に乗り番の変更が多く出てしまったのもだいぶ心苦しい。とはいえ、これはきっと自分が彼らと乗るには早すぎるという思し召しなのかもしれないとも考えられる。

ネガティブばかり書いていてもいいことはないので

よかったことも書こう。心の部分での間違ってたやり方、音楽そのものに対する間違ったアプローチの修正が図れたのは今回の演奏会に向けた取り組みでは少しはプラスに評価できることだろう。
まずは耳に頼りすぎた音楽づくりをやめることにした。チューニングの音程もまともにとれないような音感で耳に頼った演奏なんてできるわけないのである。やるべきは楽譜と音楽的常識に基づいた正しい音楽を作ることで、正しい音楽のための方法を基礎練習の中で作っていくべきだ。基礎のないところに建造物は立たないし、基礎の骨抜きな柱がオケを支えられるわけがない。
心の部分のそもそもの間違いはここに書くようなことではない。演奏者が少ない楽器であることに対する甘えを捨てろ、というのは言われて確かに思った。それ以外にも直さなければならない部分は多いが、言葉で書いていいものではなく、行いで改めていかないことには信用回復など到底ありえないだろう。


…結局ネガティブなことしか書いてないじゃないか(笑)。
もっとも、今回の本番はこの程度ではあったけど自分の中では一番吹けた本番だったと思う。少なくとも今まで苦手としてきた楽譜の物量に対してある程度の結果を出せたのは評価していいのではないだろうか。
自分のことに関してはひたすらこき下ろすように書いているけれど(それはそう)、周りがこれだけ弾ける中でやらせてもらえるのは非常に楽しいし勉強になるので、次回以降でリベンジを果たしたいところである。そしてアンコールのブラジル風バッハ第4番は本当に圧巻だった。長いこと音楽をやってた中で、あれだけの演奏を、オケの中で聴けたことほどの衝撃はなかなかない。そう、ドミナント室内管弦楽団はあのひりつくような緊張感あふれる演奏のできるオケなんだ。そんな中で弾かせてもらってるということは本当にこれ以上ない幸せだし、こんなメンバーと出会うことができたことに感謝しなければならない。本当に「有り難い」ことである。