5/24 : 授業で話せなかったことのメモなど

宿題記事はフランスの大統領選挙におけるサルコジ氏の当選の意味するところを問う内容のもの。
授業内での議論の方向性は主に改革の抵抗勢力として学生や低所得層に目を向けて、どのように取り込んでいくのか、どのような利害関係のもと抵抗勢力になるのか、ということをテーマにしていた。特に興味深かったのは、2006年に出された「初期雇用契約」などの労働政策に反対する学生の暴動の意味。労働者の固定化が進んでいる現状で、流動化を進めることはかえって学生の雇用を増やすことになり学生にとって有利になるはずなのになぜ暴動が起こったのか?ということ。


で今回出そうとしていた疑問として、少々離れるが、「何故フランスでは学生による運動がさかんに起き、日本では1960年代以来大きな運動が起きていないのか?」という疑問があった。これは前から個人的に気になっていたことだが、どんな理由が考えられるだろうか。
まずは直接に利害に関わる政策の有無。2006年にフランスで起こった暴動は、それが個人の利害に直接の関係があると判断した学生などによるものと考えられるのに対し、日本で「国民投票法案の改正で18才まで引き下げられます」といったって暴動が起きないのはそれが直接利害に反映するわけではないから、ということ。
# というかこれは先輩の指摘なんですがね
そして自分が考えてたのは、歴史的な背景があるのではないか、ということ。まずは自分達の権利をどのようにして手に入れたか、という点で、フランスと日本ではかなり異なる。フランスでは革命によって自分達の手で勝ち取ったという経緯があるのに対し、日本では自由民権運動などがあったもののまずは制限された民権が導入され戦後になり「突然」憲法が改正されて自由が降ってきた、というように見えてもおかしくはないだろう。日本人にとって、権利は「与えられた」ものであるという見方があるのではないか。そうすると「権利の侵害」と感じることに対して反応する度合いが違うのも説明できるだろう。
あと日本については、「1968の輸入に失敗した」ことも大きな影響があるかもしれない。学生運動の失敗がしらけ世代を生み出したということの延長で説明されるのではないかとも思う。
また、日本「人」は「国家存亡の危機」というものを意識したことはあるのだろうか、という点で見ると、フランス人は第二次大戦において政府が崩壊し個人単位でのレジスタンスを行っていたのに対し、日本人は天皇主体の国体のために最後まで戦い、最後に突然新しい政体に移行したということを考えると、「国家そのものの前提が揺るがされることに対する戦い」を経験してはいないのだろう、と考えられる。
フランスのナショナリズムという点で追記すると、サルコジ氏などの傾向である「ド・ゴール主義」はフランスの独自路線を強調するという点で民族の独自性を刺激して高い政治参加意識を生み出しているのではないか、とも読むことができるだろう。周囲の国に対する歴史的なライバル関係から民族の独自性を意識することが多い、とも考えられる。
このような点から、「感情」「意識」の面でフランスの学生運動の多さ、日本で学生運動が起こらない理由などを読み解くことはできないだろうか?これが今回の記事に対する自分が気になった点。


もう1点、簡単に書くとサルコジ氏の内政政策とそれに対する動きとして、自由競争の導入(→「グローバル化」)と国の伝統(→フランスは伝統的に平等主義を守ってきた)との対立、"Lexus and the Olive Tree"(→本の題名)ですね、という話。こっちはうまくまとまってないのでメモ程度に。


# 念のため:記事を明らかにしていないのにはそれ相応の事情があります